島根旅行記写真
温泉津温泉と浅原才市 石見の三大山門 旧街道 胴鐸出土地と古墳 吉川元春居館跡と小倉山城 二つ山城 広島県高野とみよし風土記の丘
胴鐸出土地(邑南町仮屋(かりや))と古墳(邑南町森実(もりざね))
この標識のある地点から高さにして30メートル距離にして200メートルほど歩いたところに銅鐸の出土地がある。(邑南町仮屋)
記念碑が建っているこの地点で大正3年9月9日、二個の銅鐸が出土した。
畑を作るために付近の木を切り払い、土を掘り起こしているときに発見された。
画面中央下楕円で囲まれた場所で銅鐸が見つかった。
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割田古墳
直径10メートルほどの割田古墳(邑南町森実もりざね)、7世紀初め頃のものと見られている。
古墳の内部(奥行き7m、幅1.3m、高さ1.5mほど)
古墳の後ろ側
画面右側の星印の中央が割田古墳のある場所。楕円で囲まれた場所には戦国時代の始まり頃に郡山城が築かれた。画面右下一帯が郡山集落。7世紀ごろ郡の役所があったのではないかと考えられている。
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旧街道(邑南町市木(いちぎ))
石州街道の案内板
石が敷き詰められた部分(草に埋もれそうになっている)昔のままの姿で街道が残っている部分は200メートルくらいしかない。
この先は笹薮に覆われている
手前に敷き詰められた石が顔をのぞかせている
敷き詰められた石が一番きれいに残っていた部分をコンクリートで固めてしまった。その先に給水施設があるので車が通りやすくするためにである。少し遠回りではあるものの、給水施設へ通じる道は既に出来ていたにもかかわらず石畳にコンクリートを流した。
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浅原才市坐像 この坐像の元になった画像には最初は角は描かれていなかった。しかし才市の強い希望で角が書き添えられ、その画像を基にして作られたこの 坐像にも 角がつけられた。
阿弥陀 仏の教えをただひたすら信じ、心から「南無阿弥陀 仏」を唱え、極楽浄土に往生するこ とを願う人を「妙好人」と呼ぶ。浅原才市(さいち)は温泉津の町が生んだ妙好人で、仏教学 者である鈴木大拙に紹介されて全 国に名を知られることになった。
碑文「角(つの)のあるのは私の心 合掌させるは仏さま 鬼が仏に 抱かれて 心和らぎ角も折れ 火 の車の因(たね)作っても
みんな済まされて其(その)上に 歓喜(よろこび)心にみ ちみちる 嬉(うれし)愧(はづかし)今ここに 蓮の台(うてな)が待っている」
浅原才市の生家
浅原才市ゆかりの寺 寺の中に才市の遺品が納められていてだれでも見ることが出来る
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温泉津町並み
温泉津の町並み
温泉津の町並み
石見銀山と温泉津の港を結ぶ旧街道
温泉津の港はかって銀の積み出しでにぎわった。港の鼻ぐり岩。中央部の穴は石をくりぬいたもので、綱を通し舟をもやった。動物の頭蓋骨に見える。
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邑南町には石見の三大山門のうち二つがあり、その一つが口羽の西蓮寺の山門、もう一つは市木の浄泉寺の山門です
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西蓮寺(邑南町口羽)
西蓮寺へはかなり長く急な山道が続く
西蓮寺の正面 画面手前の道路に沿って続く鉄柵は猪よけのもので町内全域に張り巡らされている
西蓮寺本堂
西蓮寺の由緒を記した案内板
石見の三大山門の一つ西蓮寺の山門 中層部分は予算不足のため未完成に終わったのですかすかしている。
西蓮寺の山門 正面
山門の一部 風化が進んでいる
西蓮寺経堂 一切経が収められていた。
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浄泉寺(邑南町市木)
石見の三大山門の一つ 浄泉寺の山門
浄泉寺山門正面
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吉川氏城館跡出土品展示館
吉川氏城館石切り場跡
正面石垣
城館跡
庭園跡
台所(右)と貯蔵庫(左)
台所
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小倉山城
小倉山城案内図
毛利元就の妻についての説明板
登り道
小倉山城頂上と説明図
広い駐車場 停まっているのは旅行中使用した軽トラ
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二つ山
二つ山城案内図
城へ登る道 途中崩れていた
城跡へ登る細い道
山頂の城跡
山頂から望む風景
矢印の山が二つ山。室町時代ごろ山頂に二つ山城が築かれた。
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高野
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高野の功徳寺 後鳥羽上皇が半年滞在されたという寺。「後鳥羽伝説殺人事件」の舞台になった。
功徳寺からの眺め
円正寺のしだれ桜
堀江家旧宅(高野)
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みよし風土記の丘
七つ塚15号古墳 七つ塚古墳群の中で最も高いところにある。直径28m。斜面には葺き石があり、埋葬施設は確認されていない。周溝を備え、墳丘から埴輪の破片も見つかった。古墳群の中では最も早く築造されたと考えられている。古墳群そのものは5〜6cに造られた。
古墳が折り重なるようにいたるところに築造されている。画面の左側に15号古墳がある。
古墳の案内図
古代の住宅の復元
真野家旧宅