おじいさんのうちに、やせたねずみがおったそうだ。毎晩ことこと隣の家の太っちょのねずみと、相撲をとっておった。相撲とって、それが、もう、おじいさんとこのねずみはやせっちょで、隣のは太っているから、いっつも負けるんだそうだ。それを穴から、いっつもおじいさんとおばあさんが二人でのぞいて、
「まぁ、今度はもう、負けちゃぁつまらん。しっかりやぁれ、しっかりやぁれ」いうて、応援しとったんだそうだ。
そいから、おじいさんが
「おお、ええこと思いついた。こりゃぁ、家で、お団子作ってやろうじゃなぁか。そしてそれをうんとこと食べさせて、今度はあの、隣のねずみと相撲を取るのを見ようじゃなぁか」というて、
毎晩毎晩、こう、団子を作って、あまだに置いてやって、ずっと続けて食べてったら、その、おじいさんとこのねずみが、よう肥えて(太って)な、隣の太っちょのねずみに負けんような太いねずみになったんだそうだ。そんで喜んで喜んで、今度ぁ相撲取らしてみようって、
「ばあさんや、ばあさんや、この穴から一緒に見ようじゃないか」
そいって、穴から見とったら、隣のねずみと一緒に相撲をとり始めたんだが、おじいさんとこのねずみが勝って、隣のねずみが負けてしもうた。
おじいさんのいうことにゃ、
「まぁまぁ、やっぱり団子のお陰だなぁ、団子、毎晩食べさせとって、やっぱり肥えてにゃ、だめだなぁ」
その隣のねずみが、
「どうしたことか、あんたいっつも負けるのに、なして今晩勝つか」いうて、聞いたところが、
「いやいや、こりゃ、うちのおじいさんおばあさんが、わしに勝たそう思うて、団子を毎晩作ってくれて、食べさしてもろうたお陰で」
「そうか、そんなら、わしもちっと、呼んで(食べさせて)もらえんか」いうて言うた。
おじいさんとこのねずみのほうがおばあさんに、
「隣のねずみたぁ、わしのほうが太うなったで、隣のねずみが負けるようになったで、隣のねずみが悔しがって、『どうぞ頼むけん自分にも食べさしてくれぇ』いうて頼んどるけぇのぅ、おばあさん、団子を作ったげてくれ」いうて、
「まぁ、そりゃぁ、ええことだ。あんたは友達思いで、ええ心がけだ。そりゃ作ってやる。一緒になって食べなさい」いうて、また作ってやって、
今度は仲良う同じような太さになって、相撲とっても、どっこいどっこいで、二軒の家のねずみが仲良う相撲をとったという話だが。
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昔、とんちんという落語師がおって、この人は石見の国の人で、これから大阪へ行って修行してくるつもりで我が家を出たんだが、関所を越すには通り札といって、自分の住んでおる村の庄屋さんの証明がいる。ところが、その通り札をもらわずに家を出た。仕方がないから、何とかして通り抜けようと思って関所前まで来ると、
「おい、待て。そのほうは通り札を見せよ」というので
「通り札はありません」と言うた。
「だいたいどこのものでどこへ行くのか。事情によって通してやる。正直に申してみよ」
「はい。私は石見の国の生まれ、とんちんという落語師であります。これから大阪へ行き修行して日本一の落語師になろうと思うてここまで来ました。何とぞお通しください」と頼んだ。
そこで関所の役人は
「それなら、次の題で落語をやってみよ。うまくやれば通してやる。題目は『死なば今』これでやれ」
「承知いたしました。早速はじめます。
日本一の財産家の旦那が病気にかかり、医者よ、薬よ、と心配しましたがついにあの世の人となりました。六親眷属集まって嘆いても仕方がありません。お別れに、金さえあれば何でもできるからというんで、お金をたくさん棺の中に入れて、葬式をすませました。
ところが、おんぼうが(『おんぼう』いうのは、死んだものを焼くものだけぇな)おんぼうがこれを知って、にせがねをこしらえて、本物の金と摩り替えました。死んだ旦那は換えられたことは知りません。そのまま地獄に向かっていきます。三途の川のほとりで鬼が待っております。
『鬼さん、私は日本一の金持ちで金ならたくさんあるから、金をあげるから一番楽なところへ、極楽へ渡してください』というと、鬼が
『極楽のほうへ渡してやるぞ』といって、渡してくれました。
次はしでの山。ここでもお金で通りました。いよいよ閻魔様の前に出て、
『私の持っているお金は全部あげます。どうか極楽へやってください』いうて、お金を全部閻魔様にあげました。閻魔様はこの死人を極楽の地蔵菩薩に渡しました。
そうして、閻魔大王は三途の川や、しでの山の鬼とお金を並べてみたところが、全部にせがねであることがわかり、閻魔さんや鬼どもは腹を立てて、極楽へその死人を取り戻しに行きました。
『それは、にせ金をつこう大罪人であるから、極刑に処する』というたところが、
地蔵菩薩は、閻魔大王と赤鬼、青鬼をにらみつけて、
『地獄のお役人のお前ら、死人から賄賂を取るとは不届き千万である。今日をもって、三途の川や、しでの山の鬼、閻魔大王もその役目をみな取り消しにしてしまう』
ゆえに、『極楽ばかり、死なば今』」ちゅぅような話だが。
(編集者注:これも前の『まんじゅう問答』と同じく、落語に由来する民話で、民話とはいいがたいのですが、『石見町民話集』の中に収録されており、ここに取り上げました)
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あまだか何かへ悪い人が入っとるんで、ほいで、それを追い払うのに、朝になりゃぁ、にわとりが
「こけろうこう。バタバタ」いうて鳴かぁねぇ、
ほいで、その代わりにさんぱち傘をたたいてな、
「こけろうこう。パチパチ」とたたいたら、それが、悪いやつが、目を覚ましてたまげて、
「はぁ、朝になったかい」いうて、飛んで逃げたいうていうような話、聞きんさらん(聞いとりんさらんか。聞いたことはありませんか)。
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昔、猿と兎と亀とひきが、おったげないうてな。それが、寄って、
「餅を搗こうじゃぁないか」いうて、
そいから、餅を搗いて、亀が
「餅を拾い勝ちにしようじゃなぁかぁ」いうて、
「それもよかろう」いうことになって。
そいから、どっからどがぁするか、いうことになって、山の辻(一番高いところ)から、まくることになって、ひきが
「わしは、あんまり、ごっつぅよう歩かんけぇ、えご(谷底)で待っちゃろか」いうて、
「どこへまくるやら」と思うて空をにらんでみよった。亀も
「あんまり、ごっつぅ、ええ歩かんがぁ、まぁ、このあたりにおったがえかろう」思うて、ひきと同じえごにおる。兎は
「ま、どっちにしても、わしが足が速いけぇ、中ほどにおってみよう」思うて山の中ほどにおる。
そいから、猿は
「まぁ、やれにゃぁ(いよいよしょぅがなくなったら)、木から木へ飛んででも、見てから動きゃぁよかろう」思うて。
猿が
「今、まくるで」いうて、空から(上のほうから)餅ぃ一つにして、大きなやつを、ゴロゴロまくりはないた(始めた)。
そいから、猿が
「やれ、こいつだけぇ」思うて、どっどっと、今の餅ぃめがけて前へ出よう出ようと思うたもんで、けつをようにすって、毛がようにないようになって、けつが赤ぅなって、今でも赤ぁだいうやなげな。
そいから今度、兎は中ごろにおっただけぇ、
「はぁ、通っただけぇ」思うて、追わえて(追いかけて)出て、餅ぃ、前足ぃしかれて、前足こいで(折って)痛めたで、今でも前足が短いいうて。
そいから、今度、ひきはえごで待ちよったら、ちょうどそこへ餅がまくれていって、下に敷かれて、平べっちゃぁ(平らに)なって、ひきの腹は大きぅなったいうて。
亀は待っとるところに、餅がまくれてきて、それをひとりでみんな食うただげな。
亀が、
「拾い勝ちにしようじゃないかぁ、空からまくったがよかろう」いうて言いだぁただけぇ。
あれが、あげなことを言わにゃぁ、みなちぎって分けりゃぁ、みんな同じように配れるだが、それを亀がみんな食ってしもうたけぇ、
「亀をしばぁて(たたいて)やれぇ」いうことで、
猿と兎とひきが、杵(きね)で背なをたたぁたで、あがぁに、あのときに、背なに、あっこに、だんだらが出来たというような話よなぁ。
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まぁ、『しだいだか』いうような、これも川うそのことだろう思うがの。そいで、夜にでも歩きよると、一人であるきよると、先が暗くなって、先へ進まれんようになる。
そいで、親父が言うのにゃぁ、
「おまえらぁでも、晩に、あがぁなときにゃぁのぅ、空を見るじゃぁない。その、『しだいだか』いうものは、どんどん人が進みゃぁ、その前に立ちふさがって、どんどん高うなる。天井へつかう(届く)ほど高うなる」いうて、そいで
「そがぁすりゃぁ、『あぁん、高うなるのぅ、高うなるのぅ』思うてみりゃぁ、なんぼでも(いくらでも)高うなる」
「それで、あれのほうじゃぁ、『高うなられんのぅ』思うたときにゃぁ、そのものへ、倒れかかる。倒れかかりゃぁ、そのときに殺されるんだけぇのぅ」ちゅぅようなことを言いよった。
そいだで、もしもそういうものに出合ぅたときにゃぁ、
「『しだいだか』が構(かま)いよる(ちょっかいをだす)んだけぇ、下ぁ見ぃ、下ぁ見ぃ」
「そういうふうな時には、落ち着かにゃぁいけん。それには、小便をまって(して)下をみりゃぁええ」いうことを言いよったがの。
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そこの川に、岩がんちゃ(大きな岩)があって、淵があるんだが、そこからよう川うそがでる。夜帰れば、よう出る。そんなにずんどいたずらはせんだが、ちょっとまぁ、子供なんかこう『怖い、怖い』いうて帰る。
わたしが子供のときに、弟をおんぶして、町へ行って、その帰りが、はぁ、遅いいうても、稲をはぜかける時分だが、提灯で(提灯の明かりで稲をはぜに)かける頃だから、暗う(くろう)はなっとる。その帰りにも、隣の息子が岩の上で魚をつりよる。それで、
「ゆたかさんや、帰ろうや。はぁ、暮れたから、魚は取れんで」いうて、声をかけても、返事もなんにもせん。
それで、わたしは腹をこいて、
「まぁ、ほんにのう、一緒にえんで(いんで、帰って)くれりゃいいに。わしゃ、さびしいのになぁ」いうて、戻りゃぁ、背なの子が寝て重とうなって、
「まぁ、あんた、あがぁに寝りゃぁ重たいで」いうて、言い言い、帰るときに、橋を渡って、橋の上で、
「まぁ、ほんに重たいの」いうたら、
そこで、猫みたいのがポーンと飛んで川へ落ちた。そいで、家へ帰って、父が
「おまやぁ重たいはずよ。わりゃぁ、かわうそ負うて戻ったけぇ」いうてな。
負うて帰ったなぁ、二回ぐらいのことだが、あの友達みたような(みたいな)格好して川端のほうにおるのは、二、三回あった。そのぐらいのことで別にどうこういうことはない。
狐は物を取るが、川うそいうものはいたずらはせんけぇね。
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わしがな、十八か九かの歳に、そこの向こうの家のついあっちに、もう一軒家があったんだ。その家にゃぁ、ま、年寄りと、兄弟が二人おって、兄貴と弟と歳が二つ違(ちご)うとった。それが、秋の麦を蒔く時期に、ま、夕方まで下肥をくんで、麦の田んぼへまいとったわけだ。
ところがたまたま兄貴が駄屋(だや、家畜小屋)まで戻ったときに、納屋(なや)のところに猫がきとったんだそうな。
兄貴が弟に、
「おまやぁ、あっちへ行けよ。おれはこっちから追うけぇ」いうて、二人で、こう猫を追い立てたわけよ。
そうしとって、まぁ、猫がどこかに行ったんで、それからまた、肥え(下肥)をくんで、田んぼへ運びよった。兄貴のぶんは性根がしゃんとしとるんで、どうこういうこたぁなかったわけだが、家へ戻ってみりゃぁ、弟がおらんのだ。
「弟がおるだにのう(おるはずだにのう、戻っているはずだがなぁ)。こんなぁ、弟はどがぁしたんなら。また仕事をおっぽりなげて、まさか遊びぃ行ったわけでもあるまぁし」と思うて、捜しとったところが、ひとつもおらん。
そがぁしよったら、夕方になって、兄貴がわしの家へ来て、
「こんなぁ、弟がきちゃぁおらんか」いうて、言う。
「いんや、きちゃぁおらんで。どがぁしたんなら」
「うん。麦の肥えをかけよったが、どこへ行ったやら、いっそわけはわからん。川へ行くわけはあるまいし」いうような話しで。
「まぁ、いんどって(帰っておって)みぃ。そりゃぁ戻ってくるよ。そがぁに遠くへいっちゃぁおるまぁで」いうて話をしたんだが。
その晩に、なんぼう時間がたっても、夕ごはん食べても戻らん。そいから待つほどに待っても戻ってこん。どこへいっただら、さっぱりわからんだ。
ところがその晩に、遅くひょっこり帰ってきて、
「われ、どこへ行っとったんだ」いうても、
「ふぅん」ちゅぅようなことでのぅ、どこへ行っとったかも本当わからんわけだ。
弟のいうことにゃ、
「こりょを食え、こりょを食え」いうて、なにかしらんまき(まきもち、米の粉を団子にしてまきしばの葉でくるんだもの)みたようなものを食わしてくれたいうて、いうわけだ。そいで、
「腹がへっとったけぇ、食うた」ちゅぅたが、本当に食うたんだら、なんだら、知らん。
そいから、そがぁしよって、ちょうどその晩に月夜だったんだが、
「おかしい。三角なところから、お月さんが見えるが」思うて思うとったんだそうな。そいから、こんど
「こっから降りぃ」ちゅぅようなことを言うんだそうな。
「降りぃ言うけぇ、飛んだ」そうな。
飛んだとたんにこう、水の落ちる音がしたいうて。耳に水が入ったいう。そいで正気になったわけよ。
話を憶測してみるに『ははぁん、あの晩、猫だと思うて追っかけたやつは狐だったんかな』
それがたまたま、三角のところからお月さんが見えたいうのは、だやがあって、草葺だけぇ、その駄屋の屋根裏へはいっとったわけだ。屋根裏の三角にみえるところははぶ(はふ、破風)だいうてのう。そこから、まんまるいお月さんをみとったわけだ。
『食え食え』いうて、なにを食うたか知らんが。
そいから『降りぃ、降りぃ』いうけぇ、降りたいうんだ。降りたいうのはあまだ(屋根裏)から飛び降りたものだやら、屋根からとびおりたものだやら。だが、屋根から飛び降りたにしても、あまだから土間に飛び降りたにしても、高いけぇ。そりゃぁ、何の気なしにひょっと飛び降りて、怪我しなかったいうこたぁ、何かのわざでなけにゃぁ、ちょっと考えられんことだぁの。
そいで、
「そりゃぁ、狐にだまされたんで」いうて、みんながいいよった。
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江の川(ごうのかわ)(地図)いうて、あの江津(ごうつ、地名)に出とる大きな川がある。
あれへ、鮎ちゅぅなぁ、川の魚だけぇなぁ。そいから鯛ちゅぅなぁ、海の魚だけぇなぁ。そいだけぇ、海と川の境で、鮎は、
「こりゃぁ(この川は)、わしがだ」いう。鯛も、
「こりゃぁ、わしがだ」言う。
そいから、鮎と鯛と、こがぁしてけんかをしよった。そいで、
「鯒(こち、海に住む魚)に聞いてみてごせぇ」いうことになって、
鮎は『こっちだ』いう。鯛も『こっちだ』言う。
そいで、鯒が
「あいたい(相対、鮎鯛)のけんかで、こちゃぁ(鯒ゃぁ)知らん」いうたいうてな。
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中野の上別所(そらべっしょ)に門谷(かどたに:かったに)(地図)ちゅぅ深い谷がある。谷の入り口は狭うて大きな岩が門(かど)のように立ち並んでいるんで、この谷を門谷と呼ぶようになったそうだ。その岩の門の前には、鬼の踊り場だという、踊り岩がある。みんなここら一帯を鬼の城戸(きど)(地図)というとる。谷の底を門谷川(かったにがわ)ちゅぅ川が流れとるが、それが小原迫(おばらざこ)(地図)を通って、賀茂神社(地図)のしものほうで濁川(別名、矢上川)といっしょになる。
昔、鬼の城戸にたいそう力持ちの鬼が住んでいて、そいから矢上の郡山(こおりやま)(地図)という所には、大きな蛇がすんでおったそうだ。大蛇(おろち)はのう、角の生えた、大きな蛇みたいなもので地に住むときは蛇で、天に昇るときは龍になるのだとよ。
あるとき、鬼の城戸の鬼が子供を置いて出かけたんだが、その留守に、郡山の大蛇(おろち)が、鬼の城戸の鬼の子供を取って飲んだそうだ。そこで鬼が帰ってきたところが、子供がおらんので、これは大蛇のやつが食ったにちがいないとたいそう怒って、鬼の城戸の岩をちぎっては投げ、ちぎっては投げつけて、とうとう大蛇を殺したげな。そのときの大蛇の血で、門谷川の水が真っ赤に染まって流れたんだと。それをみた村人達が「大血(おおち)が流れる、大血(おおち)が流れる」といって大騒ぎをした。
それから『大血の流れの郷(さと)』、『大血郡(おおちごおり)』ちゅぅようになり、後に邑智郡(おおちぐん)になったんだそうだ。
門谷へ入る道中に、鬼の城戸の神さんの馬のだろういう足跡が大きな岩についとる。そいからその手前には、刀の跡、槍の跡、そういうものが、一尺五寸くらいのものが岩の上にある。
鬼の城戸の西側にある山の上にゃ、昔、砦があって、今も山の上が平らになっとるが、登るのはみやすうはないちゅぅ話だ。
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