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きゅうじの話清八の話送り狼

 

きゅうじの話

 

 昔、『きゅうじ』いう名のええ男がおった。きゅうじいうのは名字は聞いとらんけえわからんが、親父が『きゅうじ、きゅうじ』ちゅうて言いよりんさった。

 

 きゅうじはばくち打ちで、それが娘と心安うなってな。その娘も器量のええ娘だったんだが、きゅうじと一緒にさせんちゅうて、娘の親が非常に反対した。ところが本人が両方とも好き合うたんだけえ、どうでも一緒になるちゅぅ。親はさせんという。そいだがどうでも行く言うことになって、娘の親は、そんなら、はぁ、お前これで勘当するけえ、親子、別かりょういうことになった。そいでそりょうを、娘は、女房になるだけえ、きゅうじに話いた。娘は、

「はぁ、これが親子のいとまごいだけえ、どがあにもならん。お前と一緒になっただけえ」いうて言う。きゅうじは、

「はあそうかぁ、親が勘当するだちゅうて言うようならなぁ、そがぁな親なら、焼き殺いちゃる」いうた。

 それで、きゅうじは、その娘の親の許へ火をつけて、焼いて殺した。親をなぁ。そがぁして、ちろうておった。

 

 そいから、年が代わっていつのことか知らんが、あるところにいしく石工)がおった。それが所へ歳の晩に、金の戻るちゅうことをきゅうじが知った。そいで、隠れて歳の晩に取ろうと思うて、その何日も前から、わたりの竹やぶの中にひそんで、かくれとった。

 歳の晩に歳をとってから、その人は寝た。寝て遅うに、きゅうじが行った。その石工は、石工だけえ、かねの大きな石を割る槌を持っとったんだが、きゅうじはそのつちを持って、石工の頭をぴしょんぴしょん、たたきめいで、かねを取っていんだ(帰った)

 そいでいぬる時に、夜明けに、雪がふった。雪が降りゃあ、足跡がつくけえ、わらんじを反対に、後ろ前にはいて、朝ま早うに家から人が出たちゅう格好にして、家へいんだ(戻った)

 

 そいから、正月の三日の日に、若い者を寄せて、まあ金を取っただけぇ、酒をのまぁな。金があるけぇ、飲みよっただげなが、そこへ目付け役が訪ねていった。きゅうじの家の向こうに、ため池がありよって、その土手を通ってきゅうじが所へ道がついとるけぇ、それを目付けがきよった。

 きゅうじは若い者をちろうて飲みよるに、『こりゃぁ追われて手が付きそうなけぇ逃げる』たぁ言われまぁがな。

 そいで、

「何でも、あん所のため池のほとりを来るが、ありゃぁなんと、目付けによう似た歩き方をする」いうて飲みよった。

 

 目付けが、御用ぢょうちんを下げてきて、きゅうじを結わえた。きゅうじを縛りに行く時分にゃぁ、それまでに足跡をどこからでたか確かめとったけぇ、あつっつ、こつっつ、調べて、きゅうじが許から出ただ、ということは知っとった。

 取調べのときに、『ちゅうぞう』ちゅう、きゅうじの仲間がおって、きゅうじが女房の親元を焼いたことやら、石工を殺いて金を取ったことやらすべて白状した。ちゅうぞうはきゅうじが、わらじをさかしい(逆さまに)はいて足跡をつけたことまで見ておった。

 

 そいでいよいよしごきになった。川越に坊主岩いうのがあったってな。あっこに地蔵さんがおられたけぇな。そこのねき(そば)できゅうじが火あぶりにおうた。三度あぶりちゅうてなぁ、さんべんの火で死ぬるように焼いた。その焼き方は、十文字にはりつけて、そいから、はじめのぶんは、金玉までぇ、火がちょろちょろ登るぐらいまで焚(た)ぁて、そいからその火を消して、また元から火を焚きはなえて、そいから今度は、脇の下までぇな、その火がなめるぐらいまでぇ一応焚いて、今度そりょうを、また火を消す。また一から火を焚きかえる。そいで、三度目は、頭の天こうまでなぁ、火が燃えるように焚ぁて、そいから死ぬるまで焚く。そして焼きころす。

 そりょぅ、うちのばあさんが、見たちゅぅだ。人が山のようによって見たそうだ。頭に火がつくまで、熱い、いわざったげな。まぁきゅうじは意地の悪いものでもあったが、そがぁでなけりゃぁ、人を殺されんだろうがのう。それから、その場所を、きゅうじが原いうようになった。

 

 「きゅうじがだんぼう(金玉)、火がついた、あっちっち」いうて死んだいうことを、まぁ、おばあさんがいいよった。今でも、子供らが口げんかするときにも、たまぁに「きゅうじがだんぼう、火がついた、あっちっち。やぁい、やぁい」いうようなことをいうてはやしたてよる。

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清八の話

 

 ありゃぁあのう、清八いうだぁ、力持ちだったいうて、それが貧乏するしなぁ。渡り(地名)(地図)のどこらへんだったか知らんが、渡りの川原いうだけぇ、その川原だったろう思うが、上方相撲の相撲取りが寄ったりしてのう。清八はまぁ、力があるだけぇ、相撲は好きなだげなが、相撲取りににゃぁならざったいうて。

 それがなんだいうてなぁ、貧乏だけぇ、木戸へ入るのがたいぎな(面倒だ)いう。そいから見よう思やぁ、板が縦へこう立ってあっての。囲うてあるけぇのう。見やぁせず(見えないので)、木戸へ入らにゃぁやりゃぁせん(どうしようもない)。まぁ、その板の壁から中へ入りゃぁ、中へ座って見られるがのう。木戸銭を払う(はろう)てのう。

 そいだが、それを銭がなぁけぇいうて、そいから石を持っていってなぁ、そりょぉ外へ立てて、その上へ上がって、板の上からこう覗いてみよったげな。そうしたげなら、

 「あこへ、相撲を盗んでみよるものがおる。あいつをしごをせえ(とっちめてやれ)」ちゅうことになって、裸腹へ腰物(刀)をさぁてのう。

「いよう。盗んで相撲をみよる」いうて、

「盗んでみやぁせん。そがぁなら上へ蓋をしといて取れ」いうて言うたいう。

「いや、そがぁなことちゅぅことはない。不届きなものだけぇ、ぶち斬れぇ」いうて、腰物をなぁ、抜いて、そいから、

「そんなら、斬るなら斬れ。斬れぇいうただが、あがぁ、犬死ににゃぁ、よう死にゃぁせんけぇ」いうて言う。

 

 そいから何だかいうてなぁ、そこへ踏み次(踏み台)にしとった石をなぁ、つい(ひょいと)抱え上げて、それが四十貫(一貫は約4kg)ぐらいある石だいうて、四十貫ぐらいある石をなぁ、宙に持っといて、そがぁして、手がだるぅもなぁ。

「一人は殺(ころ)いといてでなけにゃぁ死なんけぇ」いうて、その石を宙に持ち上げて、長しゅぅ問答をした。

「一人は殺いといて死ぬいやぁしたが、後へくるやつをみな殺いちゃる」いうてなぁ、

「ここの渡りの川原にある石ごうろ(石ころ)がある間は、追わいてくりゃぁ(追ってくるなら)、後ろへ向いて放しって(放り投げながら)、歩きゃぁなぁ、五貫や七貫の石は、五間や八間(一間は約2m)投げんこたぁなぁけぇ。そいだけぇ、来い」ちゅうていうて。

 

 そがぁして問答しよったら、松らちゅぅ家の旦那が出てなぁ、そいから

「何を言うのか、するのか、(そう)づき回る(騒々しい)」そいから、そこへのぞいて言う。

「こんなぁ、わりゃぁ、あがぁなことを言わんこうに、けんかをしようよりゃぁ(するよりは)ことわり(謝罪)をいやぁ、こらえて(許して)もらえるだに。ことわりを言うてこらえてもらえ」

「いいんや。盗んでみたいうが、盗んだじゃぁなぁ、上からのぞいて見ただ。そがぁなようなら、蓋をしといて取れ」ちゅぅ言うただいうような。そいから

「それじゃぁ、承知せんけぇ殺す言うけぇ、やれんけぇ、俺は石を差し上げとるが、一つは殺す。そいでなけにゃぁ死なんけぇ」ちゅうて言う。

「こんなぁ、あがぁなことを言うじゃぁなぁ。とにかくこらえちゃってくれぇ。

 お前たちゃぁ、なんぼう相撲取りで、その相撲の芸じゃぁ勝つかもしれんが、力じゃぁ、手にもなんにも負うもんじゃぁなぁけぇ、こらえてもろうちゃるけぇ、中へ入って見ぃ」そいから、

「いいや、そがぁな力持ちなら、こらえるけぇ、中へ入って見ぃ」ちゅぅことになってのぅ。

「そがぁなようなら、中へはいらしてもらおう」いうて、そいから中へ入って見たげな。

 

 

 それが市山の川の、小田の原(地図)いうところがある。その奥だがなぁ。田へひくぶんの水路の堰が大水でめげた(こわれた)げでなぁ、(水が)来んようになっとるけぇいうて。

 そいから、小田の原にゃぁ、殿さんが食べんさるぶんの米を作る田地(でんじ)が別にあった。それが、やれんけぇなぁ。それであそこへ持っていって、堰をせにゃぁやれんけぇいうて、その堰をするのに、あのう、市山の奥に、大きな栗の木があったのを切って、その木の長さを二間に切って、そりょを、川越の渡り(地名)のものへなぁ、あれを出せ、いうことになって、

「ありょを出しゃぁ、なんぼう早ぅても、仕事は止めさすけぇ(いくら早く仕事が終わっても、それで終わりにする)。ありょを渡りのものにださせぇ」いうことになった時分に、それが、(人が)行きゃぁしたげなが、木が二間だに、人が五十も七十も行ったげぇでのぅ。その木を出す考えがつかんだいうて。

 引っ張るいうてもやれんし。そいで、どがぁにもならん。断りを言うてこらえてもらわにゃぁ手に合わん(謝罪をして木を出すのを断念してもらわなくてはどうしようもない)、ちゅぅて言うただいうて。

 そいからまた、夫使い(ぶつかい、人夫使い、人使頭)に話しをしたら、

そがぁなこたぁなぁ(そんなことをいってもらっては困る)、ありょを出しさいすりゃぁ。とにかくわずかな時間でも(仕事がどんなに早くおわろうとも)、仕事はそりょを出しさいすりゃぁ、止めさすだけぇ」ちゅぅて言う。

 そいから、どがぁも法はつかん(うまくいかない)だげな。木はおおけにゃぁあるかい。短うはあるかいなぁ(短くても大きい)

 

 そいから今の清八が言うのにのう、

(夫使いが)そりゃぁむちゃを言う。むちゃを言うだが、俺が体にまくりあげて(ころがしてのせて)みてくれぇ。俺は負うて逃げる(運ぶ)けぇ」

 そいからその木を負うてなぁ、市山の町を下りへ出るに、あの縁柱(えんばしら)いうてあらぁなぁ。その縁柱がひかかるだげなぁな。両方の家のがなぁ。そのひかかるやつを、みなこちはずいて(ぶちこわして)かぁ、縁柱がめぎょうが(こわれようが)どがぁしようがかまやぁせん。

(夫使いが)むちゃぁ言う。そいで仕方なぁけぇ、やらにゃせれん(仕方ない)」いうての。

 そりょを負うて、縁柱へひかけて、縁柱をひきはずすぐらいだけぇ、まだ力がある。

 そいで、小田の原へ出て、

「どこへ、降ろすのか」言うたら、

「ここへ降ろせぇ」いうて、(溝)が掘ってあっただげなぁ、それが中へむけてからに、

「やれやれ、身柄がもてん(体が続かない)」ちゅぅて、ざぁんと、投げ込んだげな。それが縦しい(縦に)ずらしこんだげなけぇなぁ。そりょを抜こう思うても抜けりゃぁせんげなぁなぁ、縦しいずらしこんで、

「おおい、すんだけぇ、いのうで(帰ろう)」ちゅぅて言う。

 そいだが、

「夫使いがむちゃを言いやがってからに。あこう(あんな)夫使いはここへ出ぇ」ちゅぅていう。

「一握りにしてやるけぇ。おんどりゃぁ、大けなことをいやぁがって。誰にもかなわん(できない)ことを、むちゃを言う」いうところが、夫使いがのぅ、隠れたいうて。

「とにかく。あがぁ言わんこう」いうて、そいから、酒を買(こ)うたりしてのう。

「覚えとれよ。いつかはしごをしちゃる(やっつけてやる)」いうて。

 いつしごに合う(やっつけられる)だやらわからんけぇ、断り(本人の代わりに謝罪をしてくれる人)をたてにゃぁやれんだちゅぅて。そいからまぁ、人が間へ入って断り(謝罪)を言うてすめた(すんだ)いう。

 

 まぁ、清八はよっぽど力持ちじゃぁあったんだ。ちゅぅ話だ。

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送り狼

 

 荻原(おぎわら)横手(地図)いうてな、中野にあるんだな、ありゃぁ、長円寺(ちょうえんじ)(地図)からずっと、八幡(地図)を通って川越(地図)へ越す山ん中の道よ。こっから川越まで三里(1里は約4km)あまりあるわの。昔は、広島のほうから、川越へぬけるのに、みなこの街道を通りよった。あれぇにな、狼がおりよった。

「送っちゃろう」いうて、狼が後をついてきよる。

 

 それで狼いうものはな、途中でつまづいたり、雪道でこう滑りまくれ(倒れ)たりすりゃぁ、それが最後だったいうていうことを言いよった。そりゃぁ、はぁ、死んだものだ思うけぇのぅ。それで、送らんでもすむ思うたり、ごっつぉうにありつける思うて、やったもんだろうが。

こけ者(倒れたもの)はわしがだ」いうて食いよった。

 だけ、まくれんようにして戻らにゃいけん。まくれても、

「やれ休もうか」言や、せやなかった。

 

 それで、まぁ、薬師さん、馬頭さん(薬師観音や馬頭観音を祀るお堂)いう所に必ず広い石があっての、休み場があるんよ。そこで休みさえすりゃ、ま、一番じゃあるがのう。

 狼に送ってもらう人は家へ戻ってから、たらいで足を洗うて、その水を「ご苦労だった」いうて庭へうつしゃぁ、それで狼も安心していんでしまう。

 昼中(ひるじゅぅ)はそうでもないらしいだが、夜、晩げぇか日暮れやらかなぁ、まぁ夜になって、行き違うときに、狼が送りよった。

 馬頭さんいうてあらぁのぅ。あこのあたりからだいたい送りはなえて(はじめて)その人の家まで送りよった。雄(おん)と雌(めん)と二匹おって、それが後先後先ついてきよった。

 

 鹿賀(しかが・地名)(地図)の、ある家のじいさんが広島のほうから、戻んさったが、馬頭さんあたりから狼が送りはなえたげな。

 送りはなえてずうっと送ってきて、途中横手(横道)があるが、あすこまで戻んさったら、狼が着物をくわえてひっぱりはなえた。どがぁもならんだ。逆ろうたじゃやれんけぇな。どがぁな目に遭うかわからんけぇ、そのするまんまにしとった。

 そしたら、道の上のひらへなぁ、くわえ伏せて、そいからその上へ、狼が二匹こう上へ乗ったげな。

「こりゃぁ、狼の餌食になった」と思うてなぁ。そいから、ゴォー、ちゅぅ音がしての。

「大風が吹くのぅ。おかしいのぅ」思うておったら、

 大風が吹くような音がして、その風に乗って、頭が、魚の頭のようになぁ、のし上がった魔物が来よった。それの頭の真ん中にゃ目がたった一つあったいうことだが、そがぁなものが風へ乗って、ゴォーとやってきた。そしたら、狼がうどみはなえた(うなりはじめた)げでなぁ。そのものが、

「ええ餌がおると思うてやってきたが、そいだが狼かい」ちゅぅて言うてなぁ。

 そいからくるっと向きを変えて、またゴォーって風に乗って、伯耆(ほうき)大山(地図)いんだ(帰った)そうだ。そいで、それがなぁ、風が吹いた思うたが風は吹いてきちゃぁおらんだげな。そいから魔物がいんでから狼がまた着物をくわえて「立て」ちゅぅて言う。

 そいから今度ずぅっと、鹿賀まで送ってなぁ、そいから、その人が足を洗うて、水を庭へうつすまでぇ番をした。その水を庭へ移したけぇ、安心して狼は戻った。

 そいで送り狼ちゅぅものは、逆らいさいせにゃぁ、決してなにするものじゃぁない。大体狼そのものはなぁ、人を助けよる。

 はしか狼いうて、いなげな(おかしな)伝染病かなんずの、あがぁな病気だろう、痒い(かいい)いなげなかいがり(かゆいもの)が出てなぁ、痒う(かゆう)なりはなえると、はしか狼いうて、意地が悪うて、何でもかんでもしご(悪いこと)をしよった。

 

 荻原横手の送り狼いうものは、こっちぃ向いてでもそういうような言い伝えがあるし、あっちぃ向いてもそういうような言い伝えがあるだけぇ、どっちぃ向いても送りよったわけだ。

 『いびせ恐ろし荻原横手、送り狼恐ろしや』いうて、いいよった。

 

 狼いうもなぁ(いうものは)草の露に濡れりゃぁ、生活がでけんだげな。そいで、山が茂っとる時にゃぁ、えかっただが、近頃は、荻原横手にゃ木がのうて(なくて)、草やら笹ばっかりになっただけぇ、狼がのぅ、草の露に濡れて、生活でけんで、絶えたんだいうことをわしゃぁ、聞いとるで。

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