編集人感想
最近『島根県邑智郡石見町民話集』を読みすすめるうちに、昔話を語る人たちの生き生きした表情とそれに聞き入る子供たちの真剣な顔つきが思い浮かんできました。
昔、近所の年上の子供のあとを追いかけていたこと、さるごうだ(れんげの花が咲く田んぼ)を走り回り、裸足で田んぼに入って苗を植え、麦わらで虫かごを作り蛍をいれ、川でめだかを追い回し、稲を刈りそれを背負って運び、縄をない、わらじや莚を編んだこと、だや(家畜小屋)や、そうず(水車小屋)や、わらぶきの家、堀ごたつ、五右衛門風呂、囲炉裏の回りで正座してお膳で食事をとったことなど多くのことが思い出されてきました。
昔の子供たちの笑い声、歓声、泣き声、話なし声が耳元に聞こえてくる思いがします。
近頃は便利な世の中になり、子供たちは、冷暖房完備の家に住み、携帯電話を持ち、テレビゲームをし、昔とは違うそれなりの別の遊びかた、楽しみかたをしています。これも時代の流れとはいえ、道や川や田畑や社会も管理されすぎてしまって、裸足で地面に触れることもなくなってきました。今頃の子供たちが、きれいに整備されて、めだかも蛍もいなくなった川が本当の川だなどと思っているとしたら、非常に残念な気がします。
今では昔話を語る人たちの姿はなくなり、昔話を支えていた日本の原風景もすっかり失われました。幼いころに聞いた故郷の言葉を自由に使える人も少なくなってきました。それとともに、昔話そのものが人々の記憶のかなたへ消え去ろうとしています。昔話を語ってもらった記憶を持ち、昔話を身近に感じられるのは、六十歳、七十歳代のものが最後の世代になるでしょう。そうはいっても、昔話は人々の間で長い間受け継がれてきた貴重な財産であり、人々に元気を与える不思議な力をもっています。短い時間で失われてしまうのはあまりにももったいなく、なんとかして残していかなくてならないと考えます。
平成21年8月8日 天邪鬼